10)はりまマルチメディアスクールからネットデイへ


 それはジョン・ゲイジという一人の技術者の素朴な疑問からスタートし

ました。サン・マイクロ・システムズというコンピュータ会社の主任技術

者として勤務するゲイジ氏は、ある時カリフォルニア州における学校の情

報化率が、全米50州の中で40位以下だということを知りました。情報

先端産業に従事し、そのフロントランナーとして先頭を走っているという

自負を持つ彼には、自らが居住する地域の現状をにわかに信じることがで

きませんでした。調べてみると、カリフォルニア州は全米屈指の人口の多

い地域で、いざ情報化教育に投資しようとしても半端な予算ではできない

ので、遅々として取り組みが進展していないということがわかりました。

普段会社のネットワークを、自分たちの手で敷設している彼らにとって、

そこで試算されている金額は驚くほど莫大なものでした。

 

 「こんなにかかるはずはない。ここに住んでいる私たちのような人間が、

得意分野を持ち寄ったボランティアとして、学校現場の情報化普及のため

にネットワーク敷設や教育などに協力したとすれば、大変高いクオリティ

を非常に安価に提供することができるのではないだろうか。」

この時、彼の書いた一枚のメモが、スマートバレー公社の手による「ネッ

トデイ」へとつながり、クリントン政権による全米の「ナショナル・ネッ

トデイ」へと拡大してゆきます。

 

 ネットデイの効果は、単に「インターネット接続による教育現場の情報

化普及」にとどまるのではなく、ボランティアが教育現場とのネットワー

クを持つことにより、情報化教育への技術的アドバイザーともなり得たこ

とや、教育現場が自前でネットワークを管理しようという意識が芽生えた

こと、そしてそれまで以上に学校と地域を近づけたことなどがあります。

子供たちが自由にインターネットに触れあえる環境を提供することにより、

その興味や個性をのびのびと育成することができます。またこのような「

将来の地域経済の担い手」である人材を育てることは、そのまま地域経済

の底上げと活性化に直結する効果を生んでくることとなります。

1995年にスタートしたシリコンバレー地域でのネットデイは、85%

の学校、75%の教室でインターネットを接続するという成果を上げて、

シリコンバレーにおけるネットデイは、前述のような成果を上げて、19

97年11月に「ネットデイⅢ」として終了しました。

 

 「はりまマルチメディアスクール」を展開しながら、ひとくちに西播磨

地域といっても様々な状況の学校があることを知りました。イノベーター

として先駆的役割を積極的に果たし、学校現場でのインターネット利用を

研究する先生があり、それを後押ししている地域もありました。逆に、そ

のような先生が足を引っ張られていたり、「出る釘」として打たれている

地域もありました。また、なかなか情報化についての取り組みを進める体

制が整わない地域もありました。

ひとりの父親として見ると、私たちには自分の子供を修学させる学校や教

師を選択することはできません。「あの先生に子供をお願いしたい」など

というという我が儘はかなえられず、年度始めにはひたすら「良い先生」

にあたることを祈るだけしかありません。また、情報化教育は今後不可避

な社会的テーマであるにも関わらず、様々な理由でその教育を実施できて

いない地域もあれば、積極的に展開している地域もあります。

現時点での取り組み姿勢の違いが今後も継続されれば、機会を与えられて

いるかいないかという違いです。機会が与えられていれば、それを利用す

るかしないかは、本人の選択による「個人格差」が生まれるだけです。し

かし、地域によって機会が与えられなければ、それは選択肢なしの「地域

格差」として、近い将来大きくクローズアップされることは間違いないな

いでしょう。

 

 例えば「すべての学校を同時に..」というような平等の原理などで、行

政が教育施策として早期に実施できないのであれば、シリコンバレーで行

われたように、地域のボランティアや企業などが主体となって、地元でネ

ットデイを開催してみようと考えるのは自然の流れでした。そしてそれは、

私の思考の中で、いつしか信念のようなものに育っていったのです。

 

 ひとことで「ネットデイ」と言っても、その運営は大変です。参加を希

望する学校からプロポーズ(申し込み)を受け付け、その学校が提出したプ

ランの具体性に応じて、適切な指導をしたり対象校の選定を行います。事

前に学校に入りネットワークの敷設を行うボランティアや、ネットデイ当

日のインストラクターとして参加するボランティアのための教育プログラ

ムを実施したり、組織としての運営や協力者の募集、各種ドネーション(寄

付)の調整、当日のイベント運営やネットデイ後の学校現場へのフォローア

ップなどなど..半端な準備では難しいというのが、私の認識でした。そこ

で、あまり欲張らずに、「はりまマルチメディアスクール」で育ちつつあ

るヒューマン・ネットワークを基盤に、じっくりと準備しながら翌年開催

するというようなのんびりとしたスケジュールを頭に描いていました。

 

 9月初旬、神戸での情報仕掛け人である「神戸マルチメディアインター

ネット協議会」事務局長・木村義秀さんと、同席した会議の帰りに神戸元

町の居酒屋で、生ビールの杯を交わす機会がありました。雑談モードの中

で、木村さんが、

「神戸ではネットデイを開催したいと動いています。ネットデイは地域活

性化に直結する素晴らしい仕掛けです。行政が主導するのではなく『民』

の力で成功させられたらと思っているのですが、播磨もひとつ連携して開

催しませんか?」

突然の提案に驚いたのはもちろん、のんびり構えていた播磨では何の準備

も進めていなかったので、私は一瞬大きくたじろぎました。しかし木村さ

んの「神戸は2校(最終的には4校)でしか今の陣容では出来ないので、最

初から大きなことを考えているつもりはありません。播磨でも1校だけに

絞ったら可能性はないでしょうか。」とその熱意に促され、俄然私の「や

りたい気」がメラメラと起こってしまいました。いやはや悪い癖です。2

ヶ月足らずの間にどれだけの作業があるかの段取りを考えることすらなく、

店を出た時にはもう「ネットデイしかない!」という感じに染まってしま

っていました。

 

 NTT神戸支店の幸長部長などのご尽力もあり、9月25日には神戸と

姫路を結んで、ネットデイ実施のための遠隔テレビ会議を開催しました。

姫路会場には長谷川淳二姫路市総合政策室長が座り、行政としてどのよう

な支援が可能かを積極的に議論することができました。この時点で具体的

に事業を実施する確信が持てたこともあって、翌日のはりまインターネッ

ト研究会の月例会で「神戸・はりま・伊丹で連携した日本で初めての本格

的ネットデイを開催しよう」と提案、仲間たちの賛同を頂くことが出来た

のでした。もちろん実施決断をすることの背景には、はりまマルチメディ

アスクールの人的ネットワークがあったからに相違ありません。

 

 私たちが、与えられた45日間という短期決戦を、いかに効率的に動く

かという課題に、私たちは「実行部隊」と呼ばれる、自発的に動けるボラ

ンティアの方々を募集しました。これを、はりまマルチメディアスクール

のメーリングリストなどで呼びかけたところ、まず15名近い有志が手を

挙げてくれました。当日は「どのような作業があるのか」や「自分で出来

る役割」などを分担して、それぞれチーム編成を行い、実行部隊用のメー

リングリストなどを用いて、相互にリンクしあいながら進める方法を取る

ことにし、受け皿の組織調整は後回しにして、まず走り出したのです。以

降この実行部隊は、多いところで週2回程度集まってプランを煮詰めてい

くことになります。

 

 私はある仮説を立てています。

播磨地域は先の阪神・淡路大震災の際に、幸いにもほとんど被害を受ける

ことはありませんでした。しかし、近隣の阪神地域では未曾有の大災害に

大変な惨状が拡がっています。地域の誰もが「ボランティア」などという

きれいな言葉ではなく、ただ自分でも「何かお役に立てるのでは!」とい

う意識で、最初の数日を過ごしたことはほぼ間違いありません。その思い

を救援物資を出すことや被災地への炊き出しのおにぎりを握ることで実行

された方、直接被災地に入り、救命・救援に尽力された方、後方支援とし

て活躍された方..それはさまざまでした。このような状況から、この地域

における被災地に対する感情の「温度」は、全国でも非常に高い方だった

と言うことが出来ます。

この阪神淡路大震災の救援活動に携わったボランティアのハートが、「ボ

ランティアの土壌はない」といわれる日本の中でも、特に播磨地域で芽生

えたのではないかと推測します。そしてそのボランティアとしての思いは、

閉塞感でいっぱいの現実社会の中で、実際に発揮できる行き場を求めて、

ずっと各自のの胸の中に秘められていたのではないかと思うのです。純粋

に他人や地域に奉仕したいという純粋な思いが解放できる場づくりが、地

域に必要だったのではないかと考えています。

 

 これらの実行部隊を円滑に動かすためには、要になるしっかりとした人

物が存在する必要があります。なんと言い出しっぺの私は、ネットデイ実

施日の2週間前から1週間、米国シリコンバレーに視察に出かける予定に

なっていました。事業を成功させるには、もっとも大切と思われる時期に、

まったく無責任な話です。

そして、この事業を成功に導く原動力として活躍されたのが、株式会社O

SS・大岡久晃社長でした。現地での折衝や段取り、神戸での連携の調整、

ボランティアのとりまとめと、まさに七面六尾の働きで、事業をリードし

てくれました。

 

 ネットデイ当日の11月8日、東京からスマートバレージャパンの伊東

正明代表もお迎えして、姫路市立四郷小学校で、ワンデイイベントが開幕

しました。四郷小学校では、最初は十分に実施の説明をできなかったこと

もあり、少し半身で対応されている感もありました。しかし、大岡さんを

始めとする実行部隊の方々の献身的な行動のおかげで、ほんの僅かの間に

校長先生を始めとする皆様とも一体感をもって開催できました。

びっくりしたのは、30人程度しかカウントできていなかった当日ボラン

ティアが約100名も集まって下さったことです。ネットデイという事業

の重要性を改めて考えることとなりました。また、それぞれの方々が実行

部隊チームの指示で、担当を与えられて対応してくれました。地元の小学

生と父兄の数は350人にもなりました。これは全校生徒の3分の1程度

にもなります。子供たちは目を輝かせて、ホームページを検索したり、自

分の図鑑を作ってみたり、ネットデイの様子をデジタルカメラに収めて自

分だけのホームページを作るというような作業に歓声が絶えませんでした。

 

 こうやって、ワンデイイベントとしてのネットデイは、ボランティアと

して参加した方々に「できるんだ」という自信を残してくれました。そし

て今後地域の中心となって動いてくれる「市民起業家の芽」を見いだして

くれました。アクションを起こす大切さと、やり遂げる重要性、そこから

生まれる成果を私たちは肌で感じることが出来たと思います。

 

当日までに、様々な問題点もありました。相互連絡が不十分だったために

迷惑をかけた点、教育委員会との調整不足で当日機材を撤去せざるを得な

かったこと、「産」のドネーションを巧く働きかけられなかったこと..な

どなど。数えればきりがないかも知れませんが、すべて今後の前向きな課

題として解決していけると考えます。

 

 これをきっかけとして、今後西播磨各地で「ネットデイ」を開催しよう

という動きが出てきました。例えば赤穂市では、それを目的の一つとした

研究会も旗揚げされましたし、すでに何校かは翌年へのプロポーズを表明

しておられます。小さなひとつの思いが、おおきなうねりとなって拡がっ

ていく「ウェーブ(波)」が生まれてきたのではないでしょうか。

 

 はりまマルチメディアスクールは、「こどもたちの未来」というテーマ

で「きっかけ」を創ってくれました。ネットデイはその活動を通じて「で

きる」という自信を持たせてくれました。

私たちは今後も、様々な活動を通して、その過程で見いだすことの出来る

「市民起業家」の創出をベースに、まちづくりを前向きに考えていきたい

と思います。



ご協力頂いた皆様に、心より感謝申し上げます。

はりまインターネット研究会
  事務局長 和崎 宏