町屋耕地(こうち)整理記念碑(きねんひ)

町屋は,昔から何度も揖保川や中垣内川(なかがいちがわ)の氾濫(はんらん)にあい,そのたびごとに田畑は川原となり,原野となった。村人たちは,洪水(こうずい)が引くともとにもどす工事ばかりしていた。このようなことを繰り返していたため,田としては満足(まんぞく)のいく土地ではなかった。村人たちは,畑を水田にし,田は改良(かいりょう)して二毛作田にすることを夢(ゆめ)見ていた。しかし,それをするためには多額のお金が必要(ひつよう)であった。そこで何度も相談し,耕地(こうち)を整理することにし,委員を選んだ(えらんだ)。村人たちがつるはしで土を掘り,もっこで土砂を運んだ。すべてが人の手・人の肩(かた)であった。1909年工事が終わり,りっぱな田となった。