斑鳩寺




 今から1300年有余年前。推古14年(606),聖徳太子が勝鬘経・法華経など を推古天皇に講じ,これに御感あった天皇は播磨国佐勢地50万代を賜りました。 太子はこれを仏法興隆のため伊河留我本寺・中宮尼寺・片岡僧寺の3つの寺に三 分して寄進されました。
 伊河留我本寺は今の法隆寺、中宮尼寺は現在法隆寺の東にある中宮寺で、片 岡僧寺は早くに廃絶して今はありません。その後、平安時代に法隆寺の荘園鵤荘 となり,朝廷や幕府から犯してはならない聖徳太子の霊地として保護されました 。この地に斑鳩寺を建立し法隆寺は政所を設けて直接経営に努力しました。仁王 門・講堂・聖徳殿・三重塔など伽藍配置は法隆寺とよく似ています。境内東北北 隅には聖徳太子をまつった聖霊権現があります。
 往古には七堂伽藍,数十の坊庵が甍をならべ壮麗を極めましたが,出雲の尼 子氏の侵入で播磨が混乱していた天文10年(1541)4月7日の夜明け前,三重塔 前の避難民の小屋から出た火で全焼してしまいました。その後,円光院昌仙らが 龍野城主赤松下野守政秀らの援助を受けて永禄年間までにほぼ再建されました。
 創建以来法隆寺の別院でしたが,江戸時代以降は天台宗となし,今もなお「 お太子さん」として広く信仰を集めています。
                                              
 聖徳殿       三重塔     太子会式   斑鳩寺の仏像
  ふるさとイラストマップ          史と和の町 太子町            

 

聖徳殿


 斑鳩寺で最も重要な伽藍,聖徳太子16才の尊像を安置する。明治43年,も との太子堂に中殿奥殿が増設された。大正3年竣工。奥殿は法隆寺夢殿を模した 八角円堂。
           
              

三重塔

                                             斑鳩寺伽藍のうち最古のもの。1541年,斑鳩寺全焼の後 ,1562年に再建された。三重ながらよく均斉がとれ,室町末期の秀作である 。又,西播磨地方に残る古建築のうち唯一の国指定重要文化財である。                   


太子会式

 春会式は毎年2月22日23日に行われます。2月22日は聖徳太子の祥月 命日です。つまり春会式は聖徳太子の縁日法要です。露天がたくさん出て数万の 参拝客でにぎわいます。また毎年8月22日23日行われる夏会式は,死者供養 の施餓鬼法要です。江戸時代までは7月14日15日の盆に行われていましたが ,近代になって太子の命日に合わせられました。  毎年2月に行われる法会で,江戸時代までは正月に行われていた修正会にあ たります。御頭会というのは通称で正式には勝軍会といいます。今から1300 余年前,仏教の伝来に反対した物部氏と崇仏派の蘇我氏の戦いで,兵力の少ない 蘇我氏のため聖徳太子が四天王の像を刻んで祈願し,物部氏を滅ぼしました。御 頭会はこの故事に則った郷士の伝統ある行事で,御頭人には新田義貞や豊臣秀吉 なども勤めた記録が残っています。


斑鳩寺の仏像


十二神将立像午神(国指定重要文化財)

日光菩薩立像(国指定重要文化財)

月光菩薩立像(国指定重要文化財)

薬師如来坐像(国指定重要文化財)

如意輪観音坐像(国指定重要文化財)

仁王立像